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レツゴー全般・レツゴーのテーマ

バンビ 2003/11/14(Fri) 22:39

(前略)
お話は変わりますが、最近レンタルでSGJCのBセクションの話を観て気になる(というか私としては腑に落ちない…)点が。
「ゲンがブロッケンのバトルパーツを外してマシンが軽くなったおかげで速くなった」ことなんですが、確かゲンがパーツを外す前ってバシバシコースアウトしてたような…。普通重い方がコースアウトってしにくいのでは?って気が。
私としてはゲンがバトルパーツを外すきっかけが、「普通に走れば速いのに、(ここは私のオリジナルですが^^;)大神博士に命じられてバトルをするけどことごとく失敗。バトルをするためのバトルパーツなんかがブロッケンに付いているから命令に従わなくてはならないし、遅くなってしまうんだ」→「バトルパーツを外し、マシンが速くなってBセクション1位」という展開の方がゲンも正しいミニ四駆の走りの楽しさに気付けたのでは…、と思ったのでした。
でもゲン自身がバトルを好んでいたし、この回で改心してしまうと次回のカイとのいざこざがなくなって最終話が盛り上がらなくなるからあれでもよかったのか?とも思ったり。
TAEKOさんはどう思われましたか?


TAEKO 2003/11/16(Sun) 00:37

>雪山レース
重い方がコースアウトしにくいかどうかはセッティングにもよると思うので、一概にいえないような気もするのですが、ゲンの解釈については興味深いです。

実はこれについては、参考文献でも紹介している「キネマ旬報別冊 1997年12月12日号 動画王 vol.03」にバンビさんの求める答になると思われる考察が載っています。少しだけ引用してみますね。

『ゲンは博士の言うことを聞いていたら負けてしまうと考え、破壊パーツを捨てることで勝利する。ところが次のレース。ゲンはなんのためらいもなく破壊パーツを積んでレースに参加する。前回はたまたま重装備が不利になるからパーツを外しただけで(大人の指示をあおがず自分の判断でレースをしようと決めただけで)、相手のマシンを破壊することそのものを後悔したわけではなかったのだ。
なんと彼は破壊行為に関して無反省のままシリーズは終わってしまったのだ。だが、こういう子どもは反省しなければならないと誰がいつ決めたのだろう。』

私の最終的解釈もこれに近いです。レツゴーは「子どもはこうでなければならない」という大人の固定概念を打ち破って、もっと子ども本来の自由さを描こうとしていたのではないでしょうか。

その中でポイントになっていたのが「大人の判断に従う子ども」ではなくて「自分で判断し行動する子ども」だったのだと思います。問題なのはバトル行為ではなくて、「自分で決める」ことだった。それがレツゴーのテーマである「大人からの自立」へと結びついていきます。最終レースのあとでカイがゲンに言う台詞。「ぼくたちも自分でマシンを作ろう」--それは大人からの開放と自立を意味します。ゲンは雪山レースの時、分かったのですね。自分の意思で走るということに。そして、それがミニ四駆の本当の楽しさにつながっていくことに。そう受け取りましたが、どうでしょうか。


バンビ 2003/11/16(Sun) 12:42

貴重なご意見ありがとうございました。

>重い方がコースアウトしにくいのでは?
前半ではズブズブ雪に埋もれていたのでなぜいきなりコースアウトしだしたの?と思ったんですが、コーナー対策も甘かったかも?コースアウトさせるのではなく、重さなりバトルなりが原因でコースに埋もれるブロッケンとマグナムをいじる豪をゲンに見せてもよかったのでは、と思ったのでした。

私はかなり大きな勘違いをしていました。
大神博士はカイ達にバトルマシンを与えてバトルをさせていたけど、素直に博士の命令を聞く子達ではなかったので、いつしか「自分の意思でバトルをしていたんだ」と思い込んでしまっていました。(つまり自立に近い事をしていた?という勘違いです;)
でもいくらこの子達が博士の命令を聞かなくてもやってることは結局は博士の意図する事だったので、自立でもなんでもないんですよね。そういえば原作でもカイが「自分勝手に振舞っていたつもりでもそうではなかった」って言っていましたよね。これを読んだ当時は幼かったせいもあるか、あまり気には止めませんでした。でも遅かれ早かれこのことに気付けてよかったです(^^)(本当遅いな、私。一応20代なのに…;)まだまだ青いです。
だからゲンにしてみればただ重くて不利だからパーツを外しただけでも、このときバトル(大人の手)に頼らず速さ(自分の意思)で勝利を収めた事はとても大事な事なんですよね。このことはゲンにとって大きな進歩。
私はこの回でゲンに「自立」と「反省」を求めてしまったけど、それは私の勝手なんですよね。反省すべきはバトルをさせている大神博士。自分の理想ばかり子供に押し付けてはいけない。共に反省しましょう、大神博士。(笑)
いつか自分にも子供が産まれたら、このことを活かせるといいな、と思います。子供の成長をゆっくりと長い目で見られる親になりたいですね。(なかなか難しいこととは思いますが。)


TAEKO 2003/11/17(Mon) 14:48

>大人を越える子どもたち
SGJC編が言いたかったのは、これなんですよね。
アニメ版のカイはより丁寧に描かれてますよね。リョウに負けたことが納得できなくて、繰り返しリョウと勝負しているうちに、教えられたこと(バトル)ではなくて、自分がやりたかったこと(勝負)に気付く…。だからWGPのカイは「変わった」のではなく「本来の自分に戻った」とも解釈できると思います。
自分で走る楽しみを知ったら、自然にバトルもしなくなるように思います。ゲンも多分。

>反省すべきは大神博士
そうですよね^^。私も気がついたら大神博士になってることがあります。「○○やりなさいっ!」とか。毎日反省です(笑)。
子どもの成長をゆっくりと長い目で見られる親…それはもうぜひ! 素敵な親になって下さい。私もならなければ…。だけどこんなことを考えさせてくれるアニメもなかなか無いと思います。レツゴー…本当に奥が深い素敵な作品です。


バンビ 2003/11/22(Sat) 23:43

>大神博士
この方はレツゴ内では無茶苦茶してましたけど、大人サイドからみれば1番リアルな大人ですよね。土屋博士のような大人は正に理想の大人ですが、実際はああはなかなかできないものですしね(^^;)

でも、大神博士って本気を出せば多分土屋博士の設計するマシンよりも速いマシン作れますよね…。レイスティンガーとか何もしなくても十分速いですし。
…となると「速さが全て」が信条だった大神博士はなぜバトルに走ってしまったんでしょう…?十分速いマシンが作れるのに、自分の腕に自信が無かったとか…?途中から「速さ」から「強さ」に意識がすりかわってしまったんでしょうか。悪い人ではないんですがねぇ…。もったいない!(でもこれを言ってしまっては物語は成立しないんですが^^;)


TAEKO 2003/11/23(Sun) 01:01

本当にそうですよね。大神博士と土屋博士は「現実」と「理想」の象徴として上手く対比できていたと思います。私がレツゴーで気に入っているところは、大神博士が負けて去るのではなく、土屋博士と同様に子どもたちから乗り越えられて、鉄心に共に受け入れられることです。二者択一ではなくて両立っていうか…。だから理想も現実も両方持っていていいんだよ、みたいな。こういう考え方、好きなので。

>バトル
確かにこれがないと物語が成立しない(^^;)ので、言えない部分ではあるけれど、考えてみたりすると面白いですよね。土屋博士への対抗意識からどんどんエスカレートしていっちゃったのかな?とか…。大神博士の野望が「ミニ四駆で世界征服(笑)」じゃなくて、実はとても個人的な感情で動いていたところがかわいく感じてしまいます。

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