[1996~1997 アニメーション総決算大研究]

1996年から1997年にかけて
放映・発売・公開された
アニメーション111作品を総チェック!

「爆走兄弟レッツ&ゴー」
-88~91頁-

友情は語るものではなく、描くものである。子どもは友情という言葉を知らなくても、友達がかけがえのない大切なものだということを知っている──と言葉で書くのはとても簡単なことだ。

『爆走兄弟レッツ&ゴー』とはそういう作品である。

~動画王vol.03 88頁の記述より引用 ~



★レビューと考察★


この年代は世間でエヴァンゲリオンがヒットし、その影響でアニメを論じ、考えるということがあちこちで行われていたようで、この冊子の発行もそんな時代の流れを受けてのものだと思われます。この時期レツゴーも放映されていたため、「アニメーション総決算大研究」の対象作品の1つになりました。作品そのものを正面から 真面目に評価してくれており、現在私の知る得る限りでの唯一の「レツゴー評論」と言ってよい内容になっています。 また私の「レツゴー論」にもっとも近い見解を持っている評論書でもあります。

「物語の再構成~正義と悪の二分化からの脱却~
最初の章で、スタッフはアニメ化にあたり原作を解体し再構成したと書かれてあります。 「ミニ四駆に正義も悪もない」というアミノ監督の言葉(アニメージュでのインタビューより)を引用して説明されていますが、ここからアニメ版レツゴーが原作の設定を生かしつつもアニメならではの主張と展開を持った作品なのだということを伺い知ることができます。

「子どもたちの世界~自由な子ども達~
アニメ版レツゴーのポイントの1つがこれでしょう。レツゴーにおける「子どもの世界」の描かれ方。この評論ではレツゴーが子ども達を大人達から解放して描いていることを高く評価しています。ゲンを例に挙げて語られていることが大変興味深い。WGPのレイの描かれ方についても少し言及されており、レイの行動の解釈のしかたがレツゴーに対する考え方や評価の隠れポイントになるのかなとも思います。

「大人たちの世界~大人の都合にふりまわされる子ども達~
レツゴーが描いているのは実は裏返しにされた大人の世界である──(注:アミノ版)と感じた私の解釈に通じる考え方を示されているのも興味深い。アミノ版レツゴで「大人と現実」を象徴していたのが大神博士。対する土屋博士は「理想」の象徴といったところでしょうか。だが「理想」は「現実と体制」に負けてしまった。子ども達の世界は大人の身勝手で壊されてしまった──。そんな時あなたならどうする? とこの本は読者に問いかけています。壊れているのが現実なんだからそれに従いますか? 流れに、体制に身を任せた方が楽ですよね? でも自分の夢が流れの中になかったら? 夢をあきらめますか? それとも…。流れに身を投じた子ども達がいた一方で、流れに逆らって自分の夢にこだわり続けた子ども達もいた。壊れた世界で自分を信じて走り続けた烈と豪。51話で烈と豪は「壊れた現実」に「夢の実現」という形で勝利します。「いつの時代でも子どもは変わらない。(中略)子どもを変えてしまうのは大人であり社会だ(91頁より引用)という一節が突きささります。

表向きは荒唐無稽な子ども向けでありながら、その内側では重い大人へのメッセージも込められているレツゴー。この作品が優れていると評価される所以の一つでもあります。時にはレツゴの内側を覗いてそこに隠されているメッセージを感じとってみませんか?  この本はそう問いかけているようにも思います。

軽いコラムが1つ。担当執筆者の好みでは荒唐無稽さではSGJP編の勝ち?


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