前半は烈と豪の掛け合いが面白くて息子らにも大受け。中でも受けていたのが、豪がポップコーンを全部食べてしまったシーン。烈に残されたのは1個だけ…。おやつシーンってシンクロするようですね、子どもの気持ちと。豪の授業シーンにも注目。豪の後ろで国語の教科書を読み上げている子がいるんですが、これが本当に小学四年生用の教科書に載っているんです。こういう細かい所に手を抜かないのが、レツゴーのいいところ。さりげないシーンだけど、見ている子どもらの気持ちをシンクロさせるのに一役買っています。
さて今回はセイバー時代のクライマックスということもあってか、今後の展開も含めて気になる台詞が多い。セイバー vs JBシーンにカットバックで挿入される新マシン開発に臨む土屋博士の姿。土屋博士の回想シーンから、大神博士と土屋博士の会話。
「完璧な速さこそが大切なんだ。扱う子どものことなど心配する必要はない」
「大神!マシンは子どもたちのものだ。子どもたちを無視してミニ四駆を生み出すことなんて出来ない。マシンを成長させるのは子どもたちなんだ」
ここでのポイントはミニ四駆がどういうものかということを具体的に論じているのではなく、子どもの自主性を認めているか、認めていないかということだと思う。子どもには完璧なものを与え、改造する余地を残さない大神博士。一方で子どもの自主性を尊重し、子ども自身に好きに改造させる土屋博士。この2人の対立が今後の流れの主軸になる。子どもたちは大人の争いに巻き込まれる形になり、土屋博士側の烈・豪 vs 大神博士側のカイ・レイ・ゲンという図式が出来上がっていくのだが……?