爆走兄弟レッツ&ゴー!!という作品の面白いところは主人公が2人いることだろう。そのため豪サイドから見たり烈サイドから見たりといった楽しみ方も出来る。ただ、WGPでは2人の描き方がSGJC編とは少し違っているように見える。SGJC編では兄弟で協力して同じことをやっていた感じだったが、WGP編では烈・豪それぞれの役割分担がはっきりと分かれている感じである。それはWGPがSGJCの続きとして描かれていることに関係していると思う。SGJC編で烈と豪は兄弟からライバルへと成長しているので、その関係の変化がWGPに現れているのではないだろうか。WGPで若干作品の質が変わったように感じられるのは監督の交代だけでなく、それもあるかもしれないと思う。
WGPを豪サイドから見ると、SGJC編同様単純な子ども向けレース物語であるように思える。豪は派手に活躍し、子どもたちの期待には充分応えただろうと思う。ただ、よく見ると豪のレツゴーはSGJC編ほどすっきりと終結してはいない気がする。例えば最終回。何故ゴールの瞬間を見せてもらえなかったのだろう。演出としては悪くないし言いたいことは分かるが、子ども向きとして考えればちょっと難解な終り方だ。他にも謎はある。事実上のクライマックスに当たるはずのファイナルステージで、豪はこれといった活躍をしていない。ミハエルとの勝負もうやむやに終っているし、カルロとの決着も不明なまま。
しかしこの部分を烈が補完していると考えれば説明がつく。WGPはチーム戦なので、豪だけではビクトリーズにならない。烈・豪揃って初めて「世界と戦うビクトリーズ物語」として成立するのである。そう思って見れば、WGPには特に「豪サイド」とよべるようなストーリーはないように思える。豪もWGPの1年を通して成長しているが、それは視聴者が感じることであって、豪自身には成長の自覚はない。豪は変わらずに周りの者が豪に影響されて変わっていく…というのがWGPのメインの展開になっているようだ。
ところでWGPはバラバラだったビクトリーズが1つのチームとしてまとまっていく物語でもある。これは好き勝手にカッ飛んでいた豪がチームの一員として走れるようになることと、成り行きでリーダーになった烈が本物のリーダーに成長することで表現されている。しかし前述したように豪には成長の自覚がないので、豪視点からはこのことは見えにくい。これに関しては烈サイドから見る方が分かりやすいように思う。烈には「ビクトリーズとしてチームをまとめる」という自覚があり、それに向けて努力しているからだ。しかも終盤に失敗→挫折→復活という大きな波があるため、ビクトリーズが1つになる(烈の努力が実る)ことでカタルシスと感動も得られる。それが結果として烈サイドに烈独自のストーリーを生じさせることになっている。その辺を自分なりの解釈でまとめてみたのがWGP日記であります。
私の見た烈の物語が意図して組み込まれたものかどうかは分からないが、おかげでWGPを単なるレースもの以上に楽しめたのは確かだ。それに烈は視野が広く、リーダーなので(豪含めて)メンバー全員の活躍にも常に気を配っている。そのため烈サイドから見るとビクトリーズ全体の活躍を見ることにもなり、結果として「世界と戦うビクトリーズ」としても楽しめてしまう。それは物語全体を見ることにもつながる。それを思うと、WGPでストーリー部分をリードしていたのは烈だったのではないかと思える。その分豪はストーリーを意識せずに存分にテーマ部分(楽しんで走る)に集中して動いていたのかもしれない。
特に難しいテーマはなかったが、その代わり個性あふれる子どもたちを様々に描いてくれたWGP。SGJC編と合わせて、互いに影響を受けながら少しずつ成長し変化していく子どもたちの様子を2年かけてじっくりと描いてくれたのがアニメ版爆走兄弟レッツ&ゴー。監督により作品全体のテーマは違ってきたが、烈自身が紡いできた「烈の物語」のテーマ(ミニ四レーサー魂)は2年間を通してどこも変わっていない。思えばこの2年間、土屋博士、大神博士、WGPと大人の都合に振り回されながらも、変わらぬ自分を貫き通した烈くんに私は心からの拍手を送りたい。
(2012年9月一部改編)