始まり

まさかはまるとは思わなかった。

そもそも、子ども向けアニメなど好みの対象外だったはずである。見るならば大人向けのアニメがよい。主人公は足が長くなければいけない。男性キャラなら男優があてなければいけない。渋くてかっこいい大人の男がいい。それが何でレッツ&ゴー?

もちろん最初に「はまった」のは、私ではなくて、2人の息子たちである。うちも男の子2人兄弟だ。兄が小学1年、弟が3才。ところが当時、この年令の男の子に合うアニメが無かったのである。「ドラえもん」が意外に難しいらしい。「勇者ロボシリーズ」は更に難しい。毎週嫌になるほどの大量のアニメが放映されているというのに、どれも対象年令が高く、この子たちがついていけない。そんな時、レッツ&ゴーは現れたのだ。単純で頭身の低い絵、ミニ四駆で日本一を目指すという分かりやすくて夢のある内容。小さな男の子が自分を託せる世界がそこにはあった。

それからがもう大変だった。2人ともすっかり夢中になり、ビデオは回り放題。第1話なんて何回見ただろうか。テープが擦り切れるんじゃないかと心配になるほどだった。そう広い家ではない。台所にいても別の部屋にいても耳をふさいでも聞こえる。朝から晩までレッツゴー、レッツゴー、レッツゴー! 私ですら30分間のすべての台詞を空で言えるようになってしまうほどだった。2人で烈と豪の真似をして遊ぶのがまたかわいい。真似したい気にさせるほどの魅力があったのだろう。子どもらを見ていると、いかに彼らがこういうアニメに飢えていたかがよく分かる。

こういう状態が毎週続いた。さすがに、ここまでされると「はまるな」という方が無理だったのかもしれない。子どもらと一緒にレッツ&ゴーを見るようになるのは自然の成り行きだった。いつしか月曜日が来るのが楽しみになっていた。

元気いっぱいで、いつも自分を信じて走り続ける子どもたちの描写は見ていて気持ちのいいものだった。中でもひときわ輝いて私の目を捉えて離さない子どもがいた。それが烈くんだった。生き生きとして、何より表情がすばらしく豊かであった。設定上は「常に冷静でしっかり者の兄貴」だが、私の目に映る烈くんは「どの辺が?」と言いたくなるような元気いっぱいの男の子だった。

ともかくかわいい。元気。頭がよくてかっこいい!優しくて誠実。でもちゃっかりした一面も持っていて、意外にしたたかもの。レース中は「男」の顔になる。一見物静かだが、内に秘めたる情熱はすごく熱い! ソニックにかける愛情は人一倍。マシンの整備に手は抜かない。努力家で負けず嫌い。実は自信家。それに何より高見明男氏の絵がぐうぅっと私のツボをついた。ファイターもあおりたてる。

「さあー、追い上げてきたのはコーナリングの貴公子!」

彼が三頭身であることも、足が短いことも、声優が女優であることも、すっかり気にならなくなっていた。

「烈くんが好きだ」そう自覚したのはどの辺からだったろう。気がついたら、もう後に引き返せないほど彼に夢中になっていた。そして、見事に落ちた。…落ちたんです。落ちてしまったんですー。こうなったらもうしかたがない。どこまでも烈くんについていくしかないっ! 私は誓った。

烈くん、私の残りの人生、貴方に捧げますっ!!

爆走兄弟レッツ&ゴー!!とは

これは本来、田宮模型のミニ四駆を子どもにセールスするためのアニメである。最初はコロコロコミックの連載から始まり、人気が出たのでアニメ化された。ミニ四駆もヒットし、一大ブームをもたらした。ブームと共にいつしかアニメは原作に追いつき追い越し、独自の展開へと入っていった。だからアニメ版レッツ&ゴーは途中から(いや、実は最初から?)アミノテツロー監督のオリジナルと言ってよい作品になっている。

これが良かったのか悪かったのかは分からない。しかし少なくともそのおかげで、私はアニメ烈くんに出会えたのだし、アニメ自体も田宮のセールス目的を超えた作品になったと思っている。

ストーリーは単純だ。ミニ四駆好きの兄弟、烈と豪がミニ四駆日本一を目指してライバルたちとレースをする。それだけの話なのだが、キャラクターの使い方の上手さと演出の巧みさによって、とても面白い作品に仕上がっている。しかもそれだけじゃない! 子どもらはミニ四駆と同じスピードで走るし(うそだろ)、空を飛ぶミニ四駆(空は飛ばん、普通は)、悪のミニ四駆博士、火山の中の秘密基地、謎の全身タイツ少年、…まだまだいっぱい、荒唐無稽とハッタリと大嘘の嵐(笑)。はっきり言ってほとんど無茶苦茶だが、そこを見事に魅せてくれるのがアミノテツロー監督。あれだけ荒唐無稽な世界でよく烈くんがあそこまでリアルなキャラとして立つことが出来たのか、考えてみれば不思議だが、それは物語が子どもの視点から作られているからだと思う。

ミニ四駆は「オモチャ」である。だがミニ四駆を改造する子どもらはとても真剣である。子どもらの前で、うっかり「オモチャ」などと発言してはいけない。猛反撃を食う。レース会場で自分のマシンを見る子どもたちの眼差しの真剣さ。彼らの心はマシンと一緒に走っている。烈と豪がマシンと一緒に走るのはそんな子どもたちの心象をフィルムの上で表現していると考えれば納得できる。子どもの目線まで下がれば世界の見え方も変わってくる。荒唐無稽に見えてもけしてふざけてはいない。話の作り自体は真面目である。レツゴーとは子どもの夢を真面目に具体化した世界なのだと思う。だから荒唐無稽でもリアリティのある描写が出来たのではないだろうか。

だが、それだけでは終らないのが凄いところだ。この作品には子どもだけでなく、大人への様々なメッセージも込められている。私はレッツ&ゴーを見ながら、1人の親として、小学生の息子とどう接していけばいいのか、考えさせられた。

その1つが大人社会の風刺。大人の都合に振り回される子どもたちの世界を描くことによって、私たち大人は、親は子どもとどう接していけばいいのか、それを考えさせてくれる。そこから導き出されるのが「子どもの自主性を尊重するのはどういうことか」というテーマ。作中に出てくる2人の大人、いわば大人側の主人公ともいうべき、土屋博士と大神博士。これは、この2人の大人の戦いの物語でもあるのだ。子どもの自主性を尊重する土屋博士。子どもには大人の敷いたレールの上を歩いてもらいたいと思う大神博士。物語は子どもに乗り越えられるという形で大神博士の負けとなる。子ども自身の力をもっと信じてみようと…。ここでのポイントは乗り越えられてしまうのが大神博士だけではないこと。乗り越えられてしまうのは土屋博士も同じなのだ。

そこで出てくるのがもう1つのテーマ「物の価値観というのは一面的には捉えられない」という考え。この作品の特徴は「相反する2つの面」が大きな役割を果たしていることだろう。主人公の2人は正反対の性格だし、大人側の主人公2人も正義と悪という正反対の立場にいる。3クール目からの主題歌には「二つの想い」という副題がついている。正義と悪。表と裏。相反する2つの面。どちらが正しくてどちらが悪いというものではない。視点を変えると表だと思っていたことが裏に、裏だと思っていたことが表になることもある。どちらの価値観も認め合い、バランスよく共存出来てこそだと言いたいのではないだろうか。

荒唐無稽さを楽しませてくれる子ども向けとして成立しながらも、大人向けとしても楽しめるだけのレベルを持っている。アニメでこんな感動を味わえたのは「タッチ」以来だと思う。

考 察

ストレートに子ども向きとして豪の視点から入れば、どこも難しくなく単純で面白くて楽しいアニメである。土屋博士からセイバーをもらった豪は自分のマシンを成長させていきながら、いろいろな友に出会い「ぜったいにあきらめない」をテーマに、最後はミニ四駆全日本チャンピオンになる。途中で鉄心のじいさんが難しいことを言ったり、兄貴が意味不明の行動をしたりすることがあったけど、最後はオレがぶっちぎって日本一になったんだから、まあ別にいいや!というのが豪だろう。

しかし烈の視点から見るとことはそう単純ではない…。私は烈からこの話に入ってしまったため、思わぬ苦労(笑)をすることになってしまった。豪でなく烈だったのは単に好みの問題である。ミニ四レーサーとして正しいというのも気に入った。烈くんのかわいさ、かっこよさには魅了されっぱなしだったが、よく分からない部分もあって悩まされた。中でも驚かされたのが45話である。これをどう解釈するかでレツゴーという作品そのものの見方が変わってくると思う。

この作品が2面性を持つことは先に書いたが、その相反する2つの面が邂逅し、融合するのが45話なのだ。烈の弟に対抗できるマシンを作りたいと思う一心が正義や悪、敵味方の概念を超えてしまった。その結果大人側の「悪」の代表だった大神博士と子ども側の「正義」の代表だったはずの烈が協力しあい新マシンを作る形になる。大神研究所製のハリケーンソニックには驚かされた。これまで積み重ねてきた作品世界の価値観をひっくり返してしまっている。これは一体どういうことか? しかしそれこそがレツゴーのテーマなのだと思う。ミニ四駆に敵も味方もない。大神研究所製のハリケーンソニックは敵も味方も1本の線に結び、誰もが等しくライバルとなりミニ四駆を楽しめる世界の象徴なのではないだろうか。その奇跡を行なったのが烈である。烈のソニックへの熱く強い思いがあらゆるものを超え、昇華させてしまったのだ。

これは同時に大人同士の対立の構図をも打ち壊し、意味のないものにしてしまう。面白いのは土屋博士と大神博士の関係も45話を境に急速に近寄り始め、初め敵同士だった2人が最後はまるで烈と豪のように並んでしまうことである。悪が正義にやられるのではなく、並んでしまうところが興味深い。

以上は大人の視点から見た45話の解釈だが、物語だけでなく烈にとってもこの回はターニングポイントになっているようだ。これは子どもの成長を描いた作品でもあると思う。よく注意して見ないと分からないが、1話から丹念に物語を追っていくとその軌跡が見える。兄弟2人だけの時代から始まり、友だちが加わり、弟がそのうちの1人と親友化することにより、自然に兄弟関係が変化していく様を実に丁寧に描いている。兄の心理を掘り下げることにより兄弟ものとしても秀逸な出来になっており、子どものドラマとしてもレベルが高い。ただ、表向きはレース主体のため、視点を固定化してしまうとこれらの事象が見えにくくなるようだ。色々な角度から眺め直して見るとまた新しい発見があったりして、楽しませてくれる作品だと思う。


まとめと考察へ戻る