考察で「レツゴーは子どもの成長を描いた作品でもある」と述べてますが、それはマシンの変化からも追うことが出来ます。ところで、マシンの変化と烈と豪の成長の軌跡をたどっていった時、面白いことに気付いたのでちょっとまとめてみようと思います。

マシンが描く起承転結!?
烈と豪のマシンはSGJC編の中でセイバー→Vマシン→サイクロン・ハリケーンと3段階に変化しますが、これがストーリー展開の基本となる起承転結と密接な関係にあったことに気がつきました。表にして検証してみます。

ソニックセイバー
マグナムセイバー
1話

16話

物語の始まり。
烈と豪が土屋博士からセイバーをもらうことにより、レツゴーのストーリーが始まる。この時のマシンは大人に作ってもらったもので、烈と豪はまだ大人の庇護下にあると解釈できる。レースも公式レースが中心で大人が企画したものが多い。

この時期の烈:
弟の面倒を直接(手取り足取り)みているお兄ちゃん。1話の合体セイバー、14話のダブルトルネードと合体技も2台が1台になるパターン。

バンガードソニック
ビクトリーマグナム
17話

37話

土屋博士がセイバーから発展させたマシンをもらい、烈と豪も大人のサポートを受けつつ子どもの世界を広げていく時期。
烈と豪の周りにも友だちがいっぱいできてくる。レースも子どもたちで企画したものも増えてくる。ある意味、もっとも楽しい「子ども時代の黄金期」だったと言えるかもしれない。

この時期の烈:
お兄ちゃんなのは変わらずだが、豪が少しずつ自分の世界を広げ始めている。距離感が出来つつも烈と豪はまだ一緒に行動している。マシンも協力しあうが直接の合体はなくなる。

バンガードソニック
サイクロンマグナム
38話

44話

楽しかった子ども時代に大きな変化が訪れる。豪が大人の助けを借りずにサイクロンを作り上げ(大人&兄からの自立)、烈は焦り出す。
烈がバンガード(旧)なのに豪はサイクロン(新)。マシンが揃っていない。この不安定さ。これはそのまま烈の不安な心情を表しているようでもある。
Vマシン時代にたくさんいた友だちたちもこの時期は何故か姿を消してしまう。豪にだけ友だちができたり(42話)、烈と豪のバランスも何かおかしい。

この時期の烈:
豪が自分(兄)から離れたのにまだ気付いてなくて、世話を焼こうとして空振りしてたり。見てる方も辛いところがあったりします…。

ハリケーンソニック
サイクロンマグナム
45話

51話

烈が爆発してクライマックスを迎え、烈も自分の道をみつけて自立を果たす。烈と豪の関係も兄弟からライバルへと変化して収束する。
ハリケーンとサイクロンは烈と豪の自立の象徴とも言えるだろう。
友だちたちも2人の周りに戻ってくる。それぞれに成長して。烈と豪にも平穏が戻ってくるが、それはもうこれまでの烈と豪ではない。大人を乗り越えてそれぞれに自分の足で一歩先の世界へ踏み出した一回り成長した2人である。

この時期の烈:
豪を一人前のレーサーと認めてもうよけいな手出しはしない。でも兄としてさりげなく見守っている。

みごとにピタリとはまりましたね。よく出来た物語は基本もおろそかにしていないんだ、とそういう方面でも妙に感心してしまった表であります(^^。

ところでWGPでは?
WGPの烈と豪はそれぞれに自立を果たした後ですから、SGJCのように2つのマシンを同じ次元に置いて一緒に検証するということ自体が無理のようです。マシンとキャラの成長は比例しているのは確かですが(96話参照)、烈サイドと豪サイドでは起承転結の配分も違い、進行のしかたも違うので、物語を2つに分けてそれぞれの立場から検証するしかないようです。

サイクロンマグナム 52話

85話

カッ飛び、ブッ飛び。
チームより自分が一番でゴールする方を選ぶ。
話の展開のしかたもいかにも豪らしくひたすら真っ直ぐでストレート。

カルロとの絡みが豪を成長させる伏線になっているが、エピソードが散見しているため(間にドリームチャンスレースが入ったり夏休み編が入ったり)明確に「起承転」を分けるのが難しい。85話で山場を迎えて終結。

マシン開発中 86話 でもナレーションは烈(^^;。
ビートマグナム 87話

102話
「結」
カルロを卒業してビクトリーズに溶け込む豪。カッ飛びはそのままだが、少し成長。皆で作ったビートはその証。
ハリケーンソニック 52話

92話

91話までが「起」からそのままずっと続く「承」の部分になる。ちょっと長いのはその間に豪側で片付けておかなければいけないことがあったからだろう。

リーダーでいる状態がそのまま伏線になっており、92話で自ら「転」を招き、物語を大きく動かす。

マシンなし 93話

95話

「転」真っ只中。

もしかしたら烈はSGJC時代に「兄の位置」に頼っていたように、WGPでは自分を「リーダーの位置」に無意識に頼っていたところがあったのではないか。
だから要らぬ奮起をしてしまい、さらにリーダーとしての自分を必要としていないチームを見て、かつて兄の位置を喪失した時と同じような喪失感を味わったのではないかと思う。
そこから這い上がるためにはもう一回り大きな自分に成長する必要があった。それがバスター誕生のきっかけになったのですね。

バスターソニック 96話

102話
「結」
リーダーへのこだわりを捨てた時、烈は真にビクトリーズのリーダーとなる。
その成長の結実が不死鳥バスターである。

WGPとも並べてみると、SGJC編の烈と豪は表裏一体という感じですが、WGP編の烈と豪は並んで走っている、という感じですね。

それにしても、こうやって見てみるとマシンを文学的な見地からも実に上手く活用しているなあと思います。成長ものとしてのレツゴーはマシンから見たほうが理解が早いかもしれません。

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